『フランス音楽を纏う』Vol.2「ドビュッシーと文学」

Vol.2「ドビュッシーと文学」

パリ郊外のドビュッシーの小さな生家(筆者撮影)

象徴の森、という言葉があります。
人はみな木々に見守られ、ときにその暗闇に混乱もし、
香りや色、音のこだまし合う〝自然の対話〞を生きる―

フランスの詩人ボードレールの衝撃作《コレスポンダンス》は多くの芸術家に影響を与えましたが、そのひとりにドビュッシーがいます。
楽譜に書かれた音符を鳴らしてゆくとき、思いがけない感覚が引き起こされることもよくあります。

清流のせせらぎ、太陽の近い空、とろけるような甘み―
忘れられないのが、濃厚に立ちこめる匂いと煙に一瞬のうちに包まれ…
いや、呑み込まれる、と驚いたとき。
妖しい感覚にとらわれて、そこに記された《音と香りは夕暮れの大気に漂う》という文字列から目が離せなくなりました。

花々はおぼろに匂う
音と香りは黄昏の空に廻る
大空は哀しく美しい
君の思い出は我が心に輝く―
(ボードレール《夕べの調べ》より抜粋)

どうやらこの詩をもとにドビュッシーは、その物憂げなワルツを書いたらしい。

それから私は、五感がそれぞれに響き合う瞬間に興味を持つようになりました。
古今和歌集なども花の香りから昔のことを想ったり、
鳥の鳴き声から眠っていた感情が蘇ったり、短い歌のなかに深い情緒があります。
ほんの一瞬を描きとる幽玄の妙に共通するものを感じます。
文化に触れたとき、日常に楚々と咲く幸せに気がつくことができる。
それはまた、心に蓄えた文化さえあれば、いつでもどこでも自分だけの幸せな夢を見つけられるということ。

哀しく美しい月の光はひそやかに
木々の鳥たちに夢を見させる―
(ヴェルレーヌ《月の光》より抜粋)

夏の夜の散歩も良いかもしれない。
皆さん、今日は『月の光』をお傍にどうぞ。

文:深貝理紗子(ピアニスト)