『フランス音楽を纏う』Vol.6「メシアンと自然」

Vol.6「メシアンと自然」

はやいもので、連載『フランス音楽を纏う』は最終話をむかえました。

財団の皆さま、そして読者の皆さまに、心からお礼を申し上げます。

 

私はここでの連載6回で、「無音」を通じて音楽を語るという幸運に恵まれました。

それはずっと、夢見続けてきたことでもあります。

文章には、音なき言葉による対話があります。

連なる無音の文字が、心のなかで響きを帯びて木霊する瞬間を生きるとき、人は、時空を超えた対話という豊かさのなかにいる。自由で、誰もが手にすることができ、誰もが他者から奪うことのできない、豊かさです。

 

学生時代に読んだ小林秀雄や吉田秀和の音楽評論は、おおくの作曲家や演奏家の音を教えてくれただけでなく、音のゆくえに在り続ける生命のきらめきをも示してくれました。

思春期の学生にとって、目の前が開かれるような言葉の体験ほど強烈なものはありません。

世の動きに惑わされず、生命も心も軽んじず、生きる人、ゆきし人、出会いの数々と対話し続ける「居場所」-芸術文化は、人々の心の織りなす模様なのだと思います。

重ね紡がれてきたものに、私たちも、これからの人たちも、またさまざまな模様のひとつとなってゆくのでしょう。

悩み、問い、歩いて、止まって-不器用な生き方の隣にはいつも、幾重もの模様ができている。

 

-暗がりのなかで、自分の小ささにはたと気がついたとき、鳥や自然の歌が、等身大の自分を思い出させ、心に安らぎと愛、生きる喜びを与えてくれる-

 

このような言葉とともに、音楽と生きた人がいます。

オリヴィエ・メシアン-

20世紀フランスの巨匠と呼ばれ、指揮者の小澤征爾らとも親交の深かった人物です。

第二次世界大戦への従軍もありました。戦争を創作の題材にしないというプライドは、作曲家の武満徹にも影響を与えています。

命あるものへの愛情を貫き通したその精神は、しばしば「ヒューマニズム」と評され、過酷で殺伐とした戦後の世の中において異彩を放ちました。

ピアノ曲の大作《幼子イエスに注ぐ20のまなざし》は、そうして終戦とともに満を持して世に現れます。全20曲は2時間以上の演奏時間を要しますが、その時間を生きるという体験を通してこそ浮かび上がる祈り、厳しさ、喜びと平安、慈愛は、言葉になり得ない感覚を残してゆきます。

メシアンの愛したサントシャペルのステンドグラス(筆者撮影)

もうひとつ、紹介しようかな。

彼の綴ったピアノ曲集《鳥のカタログ》は、淡いようでたしかである輝きを与えてくれます。

この作品に出会ったら、見える景色も変わってくるとさえ思うほど。

日々ささやかに変わりゆく空の色、人知れず咲く花々、微かに擦れる木々の音、自由にさえずる鳥の声-この柔らかな幸せを、心にたくさん蓄えてゆきたい。

曲集を書く前、メシアンは鳥類学を学びました。

日本の鳥にも興味を持ち、とくに日本のウグイスの鳴き方はほかにはないと驚いたそうです。

私たちが思っている以上に、日本には美しい音が溢れているのかもしれません。

 

心に色や音、言葉が温度をもって流れるとき、またひとつ、豊かな土壌が広がるように思います。

そのような静かな出会いを味わいたくて、本を手に取り、楽譜を開き、音楽を聴き、絵を観にゆく。

そっと耕された心には、その出会いの感覚もまた、かけがえのないものとして残ってゆくはずです。

音楽も、花も本も、それを愛した人や教えてくれた人がいたならば、よりいっそう味わい深く-。

 

皆さんは、どんな空が好きですか。

私はすっきり晴れた青空と、白っぽさに淡い紫と柔らかなオレンジの溶け込んだ優しい空が好き。

鳥の声は、聴こえたかしら。

穏やかな慰めの瞬間が、日々訪れますように。

 

それでは皆さん、また、いつの日か。

 

 ピアニスト 深貝理紗子

Risako Fukagai